賑わう阿倍野界隈の市立美術館で、紀伊半島の古代の神や仏に会ってきた
孔聖堂中學好唔好。
会場は照明が薄暗いので、視界がおぼろで足元が浮き上がっているような感覚になる。次々に現れてくる無数の木の神像や仏像と対面していると、まるで古い神や仏の世界に迷い込んだみたいだった。
これだけたくさんの神や仏が、どこに隠れていたのか。いや、どこから現れてきたのか。
かつて、ぼくは紀伊半島の奥深く、車で駆け巡ったことがある。それは神や仏に会うためではなかった。日常生活の疲れやストレスを吐き出すためだった。
いま静かに考えると、その行為は古代より信仰深かった聖なる山々を、排気ガスでただ汚してきただけだったかもしれない
施政樂。
たしかに山の尾根や山懐の集落には、たくさんの神社やお寺があった。
吉野や大峯は修験道の拠点として、修験者たちの集団に出会うこともあった。那智の滝がある熊野三山でもそうだった。そして、真言密教の高野山。
それぞれの山々で出会った修験者や僧たちは、もしかしたら現代の神や仏たちだったのだろうか。
わずかに金箔を残して木肌もあらわな、古い神や仏の像たちは、笑っていたり怒っていたりして、その表情はとても人に近い。
古代の山の深いところでは、神も仏もそれほどの区別もなく混在し、人もまたともに暮らしていたのかもしれない。1本の木に命を刻み込む人たちがいて、木はたちまちにして神や仏になった。そのなかには、小動物の骨や血が塗り込められた仏像もあったらしい。
かつて、山の奥で会うことができなかった、たくさんの神や仏たちに会うことができた。これでもかこれでもかと、立ち現れてくる、古代のやさしさと荒々しさに快く疲れた
孔聖堂中學中六 。
美術館の休憩所の窓から通天閣が見えた。
天に通ずるタワーは103メートルしかない。反対側に見える、最近完成したあべのハルカスのビルは300メートルある。ふたつの高みは、どこか天空や下界を目指す人々で賑わっている。
市立美術館の隣りは、大阪夏の陣で主戦場となった茶臼山。その脇の大きな木々が茂る坂道を上ったところに、一心寺というお寺がある。文治元年(1185)に、法然上人がこの地に草庵を結んだのが始まりとされる、古い寺である。
九州の墓地に眠る父と母の骨を分骨して、秋にはこのお寺に納めることになっている。その準備のため、念仏堂で予備の手続きをした。
多くの人から納められたお骨は細かく粉砕され、10年をかけて一体の大きな仏像となる。お骨仏と呼ばれる現代の仏像である。これらの仏像はお骨仏堂に安置され、大勢の人がお参りすることになるので、365日お経も香煙も絶えることはない。
お骨仏の顔は、人それぞれに懐かしい人たちの表情に見えたりするものらしい。
神も仏も、人が造ったものは人に近いのだろう。